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HOW TO GO

〜昨日の今日とは一味二味違うBlog〜

東日本大震災 当時の記録

diary Children

3.11 東日本大震災から3年が経ちました。

当時のメモを転記します。
長男は9歳(3年生)、次男は3歳(保育園)でした。三男はまだ産まれてない。

東北の比ではないですが、大変な一日でした。

『3.11 大地震

『3.11 大地震
忘れないように地震の時の状況、考えたことなどを記しておきます。


◆3月11日 15時前。地震発生。
茅場町のオフィスにいました。


大きな揺れだということはすぐにわかりました。
阪神大震災を経験している(大阪の端なので神戸からは遠いですが)僕は、その時の恐怖が頭をよぎります。
阪神大震災では、ゆらゆらっと小さな揺れの後、ガツン!と暴力的な揺れがきました。


あのような揺れが来た時、ビルなんて簡単に崩れてしまう。
早く逃げなければ、と思いますが怖くて足が動きません。
揺れが収まって、非常階段でビルの外に出ました。
そのまま近くの公園へ職場の仲間と避難。
携帯電話は繋がらず、メールも遅延している模様。大活躍だったのはTwitter
意外だったのはPHS。問題なく繋がり、嫁と連絡が簡単に取れました。非常にラッキー。


職場に戻り、早く帰ろうと思えど、電車が動いていない。
歩くにも家まで43km(!)。
歩きだす勇気がでず、職場に留まります。


20時を過ぎ、いつまでも帰らないわけにもいかず、職場を出発。
とりあえず東京駅方面へ、そして新宿駅を目指します。


外に出ると寒い!
この寒さで朝まで歩くのは困難に思えます。
周りには歩く人でいっぱい。みんな寒そう。
歩いて帰る人の中に、飲み屋を探す人の群も・・・。
それはそれで楽しそうだけど、余震なんかのことを考えると酔っ払っちゃうとマズいんじゃない?


茅場町~新宿は過去何度か(運動不足解消のため)歩いてたので、道に迷うことはなし。


途中、市ヶ谷あたりのコンビニでパスタ買って食べました。
何件か寄ったコンビニには食糧はほとんどなかったです。
カロリーオフのダイエット用のゼリーしかない・・・。


携帯でTwitterを定期的にチェックします。電車の運行情報を探しつつ歩きます。
霞が関を通る頃、地下鉄がちらほら動き始めていて、京王線の復活に望みが出てきました。


歩く中、多摩ナンバーの車を見つけたのでヒッチハイクしてやろうかな、なんて考えたのですが、
道は大混雑していて歩いているほうが早かったので断念。


新宿に着く頃、Twitter京王線復旧の情報が。
ラッキー。非常に混雑してましたが新宿から最寄駅まで電車で帰宅できました。



◆嫁は、電車が止まってると見るや、家まで30kmの職場にも関わらず、
歩いて帰る決断を早々にし、3時間くらい歩いたところで友人の車で拾ってもらったようです。
迎えにきてくれた友人に感謝!
とは言え、渋滞していたので帰宅したのは23時を過ぎていたとのこと。


◆長男は小学校にいました。授業が終わる頃に地震が発生したようです。
親の引き取りで下校することになったのですが、僕も嫁も帰宅の目途は立たないため
同じマンションに住んでいるクラスメイトの親御さんが一緒に帰ってくれたようです。
帰宅し、家に1人でいると危険と考えた長男は必要なもの(オモチャや漫画、お菓子・・・)をかばんに詰め、自宅前の広い公園に自転車で行ったそうです。
近くにある公園なのに、なんで自転車?と思ったのですが、
自転車には取り外し可能な電池式のライトがついていたので、夜になったら使える、と判断したそうです。
普段はぼけーっとして、忘れ物が多い長男。やる時はやります。
その後、公園にいるところを友人に見つけてもらい、友人宅に避難です。
ちなみにウチの周りは全戸で停電していたようです。


◆次男は保育園でした。
僕も嫁も迎えにはいけず、長男を拾ってくれた友人が迎えに行ってくれました。
次男は同系列の別の保育園へ避難していました。長男が事前に次男の保育園に行き、別の場所に避難しているという情報を得ていたので、混乱なく次男を拾うことができたそうです。
(長男は次男が心配で保育園まで行ってみたそうです)
長男と次男が停電で暗い友人宅で身を寄せます。
次男はずっと泣いていたようです。長男はずっと声を掛けていたと友人が後で教えてくれました。
ちゃんと次男の着替えやオムツを持ち出していた長男。かっこいいです。やる時はやります。


嫁が帰宅後、息子達をピックアップし帰宅。
帰宅した30分後に自宅電気も復旧し、そのまた30分後に僕が帰宅しました。
夜中1時前にようやく全員揃いました。


とにかく全員無事でよかった。
長い1日でした。



◆以下、思ったこと。
・勤務地から家まで(43km)を歩くのは困難に思えました。途中で足を痛める可能性も高く危険ですね。実際新宿からウチまで(35km)歩いた友人がいるのですが、足のダメージがひどく3日たってもまともに歩けないそうです。
・勤務地が遠いことは災害時のリスクだと感じました。共働きで夫婦のいずれも家から遠い場合、子供と会えなくなる可能性が高いです。
・地域コミュニティの大事さ。「地域」ってほど大げさなものではないですが、近所の友達が多いこと、自治会(マンションの管理組合)の人と連携することで最悪の事態は防げます。普段からの近所付き合いは大事ですね。僕は2年前にマンションの理事長をやっていたこともありマンション内では顔が知られているため、息子のことを気遣ってくれる人が沢山いました。ありがたいことです。
・嫁のネットワーク(ママ仲間)も素晴らしい動きでした。子供の迎えや世話などをできる人がやる、という感じで見事なチームワークで子供達を守っていました。
・電話やメールが不通だったので、Twitterfacebookは安否確認に有効でした。でもまあPHSが最強です。通話が特に不自由なくできました。
・都心の土地勘は重要でした。何度か趣味で新宿まで歩いたことは良い経験でした。他の人は地図を片手に歩いたり、警察官に道を尋ねたりしていました。普段地下鉄しか乗らないと方向・距離感はわからないですよね。僕は新宿までなら楽勝で歩ける、ということは分かっていたので安心して歩を進めることができました。
・マンションの低層階は地震に強い。高層階では大きな物が倒れたり、皿が割れたりとそれなりの被害が出た模様です。3階のウチは特に何事もなく、軽く物が散らばってる程度で済みました。



◆その後
・嫁にTwitterのアカウントを取らせました。何の保証にもなりませんが繋がる手段は多いほうがいいでしょう。
・次男が情緒不安定です。些細なことで泣いたり、怒ったり。普段から素直なほうじゃないので地震と因果関係があるかわかりませんが、たぶん関係あるのでしょう。親と離れて揺れを経験し停電の夜を過ごしたのですから。
・長男は落ち着いているように見えます。でもまだ9歳。途中まで1人でした。心配です。
・食料の買いだめ、ガソリンの補充などをなるべく控えています。普段の生活で必要のないものは無理やり確保しません。必要な分だけ買っています。車も普段は使わないので。

家の近くで崩れた大型スーパーの駐車場のスロープ。
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